先日行われた「新開体育サークル+」で報告したレポートです。文章をあまり練っていないので、わかりにくかったら説明します。
1 体育授業の存在価値って、何??
体力向上? だとしたら、社会体育やスポーツ産業に学校は負ける。1年間で90時間しかないのだから。つける力は限られてしまう。
技能向上? うまくなること、できるようになることはおもしろい。しかし、体育の授業で競技者の養成をするのかと言えばそうではない。
学び方の向上? 学校教育だけに限れば、学び方を学ぶということは重要である。しかし、運動は生涯を通じて楽しむものである。
だとすれば、「楽しむ力の向上」が体育授業の存在価値ということになる。これを
スポーツ享受能力
と呼ぶことにする。
2 スポーツ享受能力の中身は?
私が考えているのは以下の4つ。それぞれ、技能面、態度面がある。
①スポーツを自分の生活に位置付けていく力
②自分の力に合わせてめあてを決める力
③スポーツを規定するルールを守り、マナーを向上させようとする力
④一緒にスポーツを楽しむ人との人間関係をとる力
3 授業する教師は、どんな姿勢であるべき?
スポーツは、遊びであるという認識をもつ。遊び(プレイ)とは、次のようなものである。
・自由な活動(参加者の自発性に基づく。強制されない)
・非日常的な活動(決められた空間と時間の中で行われる)
・未確定の活動(結果はやってみないとわからない)
・非生産的活動(何も産み出さない)
・ルールのある活動(規則に従い、それ自体の秩序を持つ)
・虚構的活動(現実ではないという意識が伴う)
-カイヨワ-
遊びを教えるわけだから、仕事に向けた教育ではなく、レジャーに向けた教育ということになる。つまり、何ができなくちゃダメということではないということ。自分の力に合わせて楽しめていればいいということである。
4 運動の特性をどうとらえたらいいの?
楽しめているという状態を表すものが、運動の特性である。特性にはいろいろあるが、楽しさにかかわるのは、
運動の機能的特性(その運動の持つ固有の楽しさ)
である。指導案の最初にこれを書くのは、これが授業づくりの出発点になっていることを意味している。
例えば、バスケットボールなら、少し高いところにあるカゴ状のゴールにシュートするのがおもしろいわけで、ゴールが変わったらバスケではなくなってしまう。逆に言えば、少し高ければ高さの規定はないし、リングの径も子どもが楽しめるように変えていいものである。
これが、子どもから見た特性である。
子どもの実態に合わせて、特性から遠ざける要因については、それを取り除く手だてを。特性に近づける要因については、それを促進する手だてを、それぞれ講じる必要がある。
5 ってなわけで、場の設定が大事!
その手だての最も重要な部分を占めるのが、運動する「場の設定」である。
例えば、サッカ ーなどでは技能差が問題になることが多い。そういう実態があるのならば、場の設定を工夫す ることで多少の解決ができる。
サッカーにおける場の工夫の例
・ゴールを広くする(だれでもシュートして得点する可能性が広がる)
・やわらかいボールを使い、空気を少し抜く(痛さへの恐怖がやわらぐ、難しい浮き球の処理をしなくてすむようになる、転がるスピードが遅くなるので追いつきやすくなる)
・サイドラインを引かない(スローインなどの余計な技能を教えなくてすむ、ゲームが途切れずスピーディー)
だれもが楽しめるように工夫していくことが重要なポイントである。
6 もう一つ大事なのが、人とのかかわり
場と同じようなものだけど、より不確定要素が強いのが「人」である。個人スポーツであっても、同じ運動を学習する仲間としてのかかわりを持たせたい。集団スポーツであれば、常にグループ(チーム)で学習が進められることになる。
自分が楽しいだけでなく、一緒に運動する仲間も楽しいということである。グループの中に「楽しくない」という子がいれば、それは問題としてとりあげる必要がある。
というか、1人でもそういう子がいれば、まわりの子も楽しめないはずである。常に、「みんなが楽しめているか」というチェック体制を確立したい。
例 ・毎時間、授業の終わりに確認する。
(楽しめたのはどういう努力があったからか、なぜ楽しめなかったのかを考えさせていく)
・楽しくなさそうにしている子に声をかける。
(意外に胸の内を打ち明けてくれることが多い。日頃からの信頼関係が大切)
・楽しめない原因をつくっている子に声をかける。
(「○○さんが楽しくないって言ってるよ」というと必ず反論があるので、それをきっかけに問題を全体に広げていく)
・みんなが楽しめるようになったら、チームがいい方向に向かったという気持ちをもたせる。
(ターゲットを決めてほめる、ほめさせる)
・プラス指向の反省・評価をさせる。
(ここまではできた。次は…)
7 指導案を立てたけど…
子どもの学習をデザインするもので、教師の一方的な願いのもとにつくられるものではない。いかに子どもの実態をとらえ、それに合った学習を展開させるかがポイントになる。
指導案は、「50%のフレーム」である、という主張がある。これには2つの意味があると考えている。
1つは、指導案を作り終えれば授業は半分終わったようなものだということ。つまり、それだけ綿密にデザインされたものならば、授業にかける前に半分は答えが出ているという考え方である。
もう1つは、それだけ綿密に作った指導案だとしても、授業になったら半分ぐらい変わってしまうかもしれないということ。授業の際に子どもをよく観察し、それに合った指導に変えることをおそれてはいけないということでもある。
8 授業の流れは自然な流れにしようよ!
自分がスポーツをするときと同じように、自然な流れにするとよい。それがフツーの生活に位置付いたスポーツなのだから。
例 さぁゲレンデに着いたぞ。
準備運動をして、緩斜面を2~3本滑ろう。(体慣らし)
きょうはどういう予定で滑ろうかな。(学習計画、めあての確認)
ただ滑ってくるだけでも気持ちいいな。(できる力で楽しむ)
そろそろ難しい斜面にも行ってみようかな。(難しい場へ)
板をそろえて滑れるように練習しよう。(難しい技へ)
よく滑ったな。今度来たらこんなこともしてみたいな。(反省、評価、次のめあて)
9 異質な者どうしが一緒に学ぶのだから
学級を単位として体育の授業をするわけだから、そこには運動の得意な子もいれば苦手な子もいる。つまり、いろんな子がいるということ。そういういろんな子、すべての子に楽しむ権利があるわけである。
スポーツ享受能力とも関係するが、だれでも、いつでも、どこでも、だれとでも楽しめることを追究するのが体育授業であると考えている。
そのためにできることを、具体的に実現していくのが「授業づくり」である。いい授業をつくるためにがんばりましょう。
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